Acerca de

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​ 第4回 

​ 一人で生きていける道を模索した 

  TAI さん(35) FtM  

​ (全4回) 

熊本生まれのTAIさん35歳。

性別違和を感じ始めたのは中学生の時。苦悩しながらも大学卒業後から、料理人を志し、修行を積むこと10年。現在は、埋没のFtMとして九州の某所でイタリアンバルを開いていらっしゃいます。コロナの影響を受けながらも、自分の考える料理を出す日々です。過去を振り返るのも久しぶりだと、はにかみながらも、その軌跡を語ってくださいました。

  02- 4 その答えは
   -  また、下っ端
​   -  バカの一つ覚え

​ 第四回 その答えは 

【また、下っ端 】

帰国後、どうしても都内の有名レストランで働いてみたいという希望がTAIさんにはあった。

「自分がどうしても行きたい店に直談判しました。こういうレストランはコネや引き抜きで埋まってしまうし競争率が高いです。アルバイト情報誌に載っていることもないので」

都内の有名レストラン、どういう面接なのだろうか。

「店によって違うでしょうが、私の場合は、一品作ってくれ、的なものはなかったです。履歴書と何が出来るか聞かれて、ここで働きたい強い熱意で押しました」

丁度一人辞める事になっていてタイミングが良かったのもあり、雇ってもらえる事になったが、またもや下っ端からのスタート。

昔ながらのパワハラ上等の店。

酷い調子で毎日怒鳴られ続ける毎日。

「四六時中、怒鳴られていました。何か違ったことをすると、一瞬で怒号が飛んでくる。毎日です。怒鳴られることは嫌でしたが、男性扱いされることが嬉しかった。今ならダメですよね(笑)」

そして、嬉しかったのは、「コックコートが様になってきたことですね」

「相変わらず、ズボンの丈は詰めないといけなかったですけれど(笑)腕は格段に太くなりましたね。後、体幹がしっかりした、と言うか、筋肉で安定感が出たと思います。ホルモン注射をする前は体が華奢でコックコートに着られているみたいでした」

「僕の場合は、あまりホルモン注射の影響は出なかった方だと思います。ただ、SRSをしてから体が暑くて暑くて。ホットフラッシュみたいに。それだけは、参りましたね」

都内有数の人気店。ランチもディナーも常に満員状態。

今までの修行はなかったものと思い、また、一からやり直した。

「コンカッセ(5ミリくらいの粗みじん切り)という野菜の切り方があるんですが。前の店ではマセドワーヌ(5ミリくらいのさいの目切り)のことをコンカッセと呼んでいたので、シェフに玉ねぎをコンカッセにと言われて切ったら「全然違うじゃねーか!」とかドヤされることとかよくありましたね。」

「料理という同じ技術でも店によってやはり呼び名とか間違いも含め差異があって、指示通りに出来ない料理人は半人前で邪魔、言われなくてもそこに必要な材料があるくらいの阿吽の呼吸がないと仲間として認めてももらえませんでした。」

料理はライブ、つまり生き物なんです。とTAIさんは恥ずかしそうに続けた。

「料理を作る時に何がどのタイミングで必要かが分からないとこの呼吸は生まれません。」

「皆が分担している一つ一つの調理を覚えて、それがどう繋がっていくのかをかき集め組み立てて、最終的にどうやってお客様に提供しているのかレシピを作る毎日でした。

そうしてやっと、今彼はジェノベーゼを作っているから松の実がいるなとか、

シェフは今からお客様にメインの肉を焼くからフライパンを先に準備しておこうとか、徐々に皆の次の動きが読めるようになっていくと私の立ち位置は、シェフから一番遠い皿洗い場から、いつの間にか彼の隣になっていました」

料理のことに関してだけは、TAIさんはとても饒舌になった。

しかし、落ち着いて、淀みなく話していくTAIさんが、一瞬だけ、発言に迷った瞬間があった。

「でも、料理界における「男女関係なく」は、「今の若者」にとっては、あまり望ましい環境ではないかもしれませんね」

そんなこと、言っていいのですか、と心配になる。

​「大丈夫です。今はもっともっと変化しています。そのやり方だと、人が付いてこないことを理解している人の方がほどんどです。一人で店を回すのには、限りがあるんです。私の店も10席ほどの小さな店ですが、妻がホールをしてくれなければ回すことが出来ません。そう言った意味でも、一緒にやってくれる人が寄り付かなければ、店が潰れてしまう。料理人も、経営や人材マネージメントの大切さを理解している人が増えています。ただ、私にとっては、あの時の環境は、自分を男女関係なく一人の人間として扱ってくれる貴重な環境であったことは確かです」

【バカの一つ覚え】

料理店で修業を始めて10年。

TAIさんは自分の店を持つ計画を始めた。

 

 

「その時、やっと具体的に自分の店をイメージしたんです。

どんな店にしようかと考える時間は至福の時でした。どんな料理を出して、どんなサービスをして。いろんな店を妻と食べ歩いて。」

 

 

ただ、資金不足でレストランを営業するのは難しく、また人が多い組織ではなくシェフは自分一人の環境で働きたい気持ちが強かった為、カフェを経営しようと考えた。

 

 

「シェフが丁度もう一店舗店を構えようとしていて、私がカフェで独立する話をしたところ、自分も出資すると言い出したんです」

 

 

「資金不足が解消して、ものすごく助かりました。もちろん、それでも足りずに、家族から借金ですよ」

母親には、手術をする前に自身のことを打ち明けた。

「狂人になる」と思った母は、そこにはいなかった。

叔父が母親に話をしてくれたからだ。

「あいつの事情はよくわからん、けれども、自分のところに働きに来た時のあいつの覚悟が自分にはわかる」と。

他の親戚も「言うても、お前の子供やろうが」そう言ってくれたそうだ。

それから、数年は色々あったが、今では、母も

「私の息子です。もう、訳がわからんようになっとるけど」

と笑いながら話すようになっている。

店を出す時には、1番の高額を出してくれた。

 

 

そうして、TAIさんは、当初のカフェとは違ってしまったが、イタリアンのバルをオープンし、独立をした。

「嬉しかったのは、店が着工する時だけですよ。それも、新しいキッチンで料理をすると勝手が違うなとイメージが出来てしまって、すぐに現実に戻りました(笑)あとはオープンに向けて必死。自分の店だと感傷に浸る暇なんてありません」

 

「・・ただ」

 

俯きながら、こう内緒話をするように。

 

「毎日、閉店後に仕込みをして、掃除をした後、誰もいない店の電気を消すんです。その時だけは、少しね。」

 

彼は、そういうと少し照れたように、また俯いた。

独立してどうですか?と問うてみた。

「日々、大変な事はありますが、自分で解決できることが多いです。

あのまま、不動産会社に勤めていたら今より安定した生活を手に入れる事は出来たでしょうが、今のように自由な気持ちでいられることはなかったと思います」

「ずっと、ずっと一人で生きていくために模索してきました。本当はなりたくはなかったけれど、我慢していたんです。けれど、結局、一人にはならなかった。それが答えです。みんなに助けてもらいました。今も支えられています。相変わらず、私はおしゃべりは妻任せで、口下手ですが・・・ただ、その思い込みも捨てたもんじゃないかもですね。料理人としての成長をくれましたから。一人でいる時間が、自分に料理をすることと妻といる喜びを倍にしてくれました」

さらに、現在のFtMにアドバイスを問うてみると

「(長い沈黙)・・ない・・ですね。すみません。わからない。私自身が、今でも苦しいんです。コロナなんて、誰も想像していませんでしたしね。私の場合、いつだってやるしかないんです。選択肢なんかない。あの時と一緒です。」

 

「これこそ、本当の「バカの一つ覚え」ですね

今までで1番の笑顔で、TAIさんは笑った。

その後ろで、奥様もクスッと笑った。

​最後に、あと、2年で借金が終わる。その時が、また始まりなのだと、彼は言った。

 

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