Acerca de
02
第2回
一人で生きていける道を模索した
TAI さん(35) FtM
(全4回)
02 - 2 個人事業主になるしかない
- 給湯室より飲み屋で愚痴を聞きたかった
- 選択肢なんか、ない
熊本生まれのTAIさん35歳。
性別違和を感じ始めたのは中学生の時。苦悩しながらも大学卒業後から、料理人を志し、修行を積むこと10年。現在は、埋没のFtMとして九州の某所でイタリアンバルを開いていらっしゃいます。コロナの影響を受けながらも、自分の考える料理を出す日々です。過去を振り返るのも久しぶりだと、はにかみながらも、その軌跡を語ってくださいました。
第二回 個人事業主になるしかない
【給湯室より飲み屋で愚痴を聞きたかった 】
何気なく偶然に身を任せて就職した会社、最初に配属されたのは賃貸仲介の仕事だった。どんな部屋を希望しているかお客様にヒアリングし、物件の提案、内見、クロージングなどを行う部署だ。
「職場に男が多いって事は、そういう風に振舞えるもんだと勘違いしてました。」
不動産会社は男性の割合が多い。
TAIさんは社会から受ける女性の役割が少しでも軽くなるよう男性社会に身を置こうとした。
「それが返って仇になりました。」
何をするにも女性性を押し付けられていると感じるようになってしまったのだ。
「来客のお茶を用意の提供、コピー用紙の補充、女子トイレの掃除、とにかく女の仕事としてやらされることが多かった。新人の仕事という括りではあったが、同期の男性社員は、私より圧倒的にそれを免除されていました。羨ましかったです。男性側も悩みはあったと思いますが、私もそれで悩みたかった」
「給湯室で愚痴の相手をするよりも、飲みに言って愚痴の相手をしたかったんです。どんどん、仕事が憂鬱になっていました」
「暗黙の了解っていうんですかね。あなたがしなさいって言われるわけではないんですが、自ずと率先してしてしまっていました。だって、普通が良かったから」
仕事も力仕事だと声がかからなかったり、逆に持てるものでも持ってあげるよと言われたり、男女で仕事がうっすらとでも明らかに分けられていく事を肌で感じていた。
「お客様に男性スタッフがいいと言われることもありました」
社内、社外に関わらず自分が女性だという事を押し付けられる状況にTAIさんはどんどん耐える事が出来なくなっていった。
「不思議でしょう」
TAIさんは、視線を外すと、苦笑した。
「今まで出来てたから社会に出ても出来ると思っていました。
でも、社会に出てからの方が圧倒的に性別から逃げれませんでした」
TAIさんは体調を壊すようになり、このままでは精神的に危ないと思い退職を決意した。
「半年、持たなかったんです。部屋にこもって、呆然としてました。家賃や光熱費、どうしようかなと。幸いにも貯金はありましたが、多くの人がいる組織で働くのは無理だと悟っていました」
ここで、アルバイトや就職先を安易に探しても、今までと同じであることは目に見えている。それだけは、どうしても嫌だった。
【選択肢なんか、ない】
個人事業主になるしかない。
そう考えるのに時間はかからなかった。
「最初に独立を考えた時に、一人で出来て完結できるもので飲食店を思いつきました。叔父が熊本で店をやっていたんです。カウンターだけの、小さな店を一人で切り盛りしていました。あれくらいの店でも家庭を維持出来ているし、自分一人なら、なんとかなるかもしれない、と。繁盛期に手伝いに行っていたこともあって、身近な存在でもあったかもしれません」
「ただ、調べれば、調べるほどに、それがいかに困難か思い知りました。飲食店というのは立ち上げるのは簡単ですが、すぐに潰れるんです。高すぎる初期投資が回収出来ないからです。人気店でも、実は結構カツカツな場合が多い。実際、コロナで結構、え?と言うお店、潰れませんでしたか? 田舎では、特にその傾向が顕著なんです。ちょっとした経済的な打撃に耐えられない」
「料理人は料理を出すことだけ修行しているんです。だから、経営がザルなんです。美味しい料理を出しさえすれば良い、という考えの人が多く、集客や原価のことを後回しにしてしまいがちなんです」
それでも、そこを目指したのですね、と問うと、TAIさんは少し、早口になった。
「選択肢なんかない。私は当時、自分の身体や心のことを考えることを拒否していました。情報も集めていませんでしたし、そもそも普通なんだと思い込み、それを証明したかった。だから、ホル注とかSRSとか、具体的な治療のことを知ったのは、20代後半くらいの時です」
「実は、会社を辞めた時、髪を切ったんです。思い切り短く。そして、古着屋でダボダボの服を買いました。そしたら、すごく楽になった。でも、これじゃ、誰も雇わないよね、と。だから、それしかないんです。やるとかやらないとかじゃなくて、やるしかないんです」
図書館に通うかたわら、叔父に頼み込み、バイトをさせてもらった。
叔父はTAIさんの姿を見て、一瞬驚いたが、「料理をやっていくのだったら、覚悟があっていい」と深追いしなかったことが不幸中の幸いだった。
バイト代は安かった。それでも、食うには困らなかったし、休憩時間は経営の勉強をした。
そして、飲食店を持つために自分に足りないものを洗い出した。
・料理の知識、技術
・サービスの知識、技術
・飲食店の経営能力
・資金
とにかく、全てにおいて力が足りない事に気づく。
まずは技術を得る為に専門学校も思いついたが、資金面の問題もあり飲食店の実践で技術を付ける道を選んだ。
「同時に習得してく為にはその方が近道だと思いました。」
やっとTAIさんの表情が生き生きとしてきた。