よっぽど呆けて人生を生きてきたのだと思う。
私は大道に出会うまでFTMという認識が37年間全くなく、思い返してもFTMの人物に思い当たることがない。今から考えていると無意識にお会いしている可能性もあり、そら恐ろしい。
大道からカミングアウトを受けてから、多少ネットでFTMについて漁ったものの、あまりにも個人的過ぎたり、トランスの程度や年代で多くのバリエーションが出てしまい、結局、本人に尋ねることが一番と言う結論になり、参考にならなかったのですぐに止めてしまった。そもそもとうの昔に戸籍変更を終えているのだから、深追いする必要もない。
そんな中で一番心に残ったのが、kamenotsuno.comというサイトの「すべてのアイデンティティをセクシャリティに持って行かれるのは癪だ」という文章だった。こうしろうさん本人にそこについて尋ねたことがないが、どことなく突き放したような、自分自身に怒っているような、ドライな印象を受けた。私はこうしろうさんが一気に好きになった。
私も何でもかんでも女性だからと言われたら溜まったもんじゃない。
けれど、現実、LGBTsにとっては、そういった事はありふれた日常なのだろう。
ある時、興味本位で大道のホル注について行った時のことだ。
都市部の大学病院の受付は大体混んでいて、無愛想な対応をされるのはデフォルトである。その日は更に前の患者さんが診察時間の遅れについてクレームを長々と述べたものだから、受付女性のキャパを超えていたのだと思う。感情を隠そうともせず、半ば怒鳴り声に近い形で用件を聞かれ、近くで待つように言われた。
ところが、次の瞬間、カルテを見て、彼女の対応が180度変わったのである。
座っている私たちに片膝をついて「今、手配をしていますから、少しお待ちくださいね」と彼女はにっこりと微笑んで去った。
騒ついていた待合室が、私と大道の2人だけになったような気がした。
私は「こういうことなんですね」と呟くと「優しくなったでしょ。いらないんだけどね」
と大道は前だけ見据えて言って、スマホに目線を戻した。
LGBTsだから、元は女性だから、対応を変えようと思ったのか、いい人だと思ったのか、同情したのか、とにかく彼女は大道の過去を知って「自分達を困らせない患者」だと判断したのだろう。彼女の心優しい実直な対応に対して、私は胃が凭れた。
こんな善意に満ち溢れた無意識のアウティングが往々にしてあるのであれば、正直カミングアウトなんて絶対にしたくないし、ただただ世の中が気味が悪くなるだけな気がした。
そして、それを受け入れられない自分が自分を蝕むだろうとも思った。
マジョリティとマイノリティに接すると、何かが少しだけ過不足が生じる世界が出来上がる。
優しさにしても怒りにしても。
私が今までにいた世界より、半歩ほど逸脱した世界。
もちろん、彼女は悪くない。何かを変えてほしいとは思わない。
普通とは違う自分達を善意という最強の武器を使って社会的に見せつけられることは、私の自尊心を少しだけ抉った。
これを何度繰り返してきたのだろう。
落ちている小石を一つ一つ蹴り返すような作業。
そして、それは誰にも話さない。
だって、それはみんな同じだから。
大人は悲しい。
助けてほしいと言えないからだ。
正直、愛されてあんなにも可愛い赤子より飲み屋で嫌われている中年の方がよっぽど助けが必要だと思う時がある。
私はTwitterをいじりながら、大道に「愛してるよ」と言った。
これほどに意味のない愛の言葉も珍しい。
ただ、何かを伝えたかったのだ。
大道は何も言わなかった。
少し機嫌が良くなっただけだった。
いつもふざけているのに、肝心なことは何も言わない。
そして、カツ丼を奢ってくれた。
世の中の一部の人には反対されるかも知れないが、同僚という不思議な関係は、時に家族やパートナーを凌駕することがある。
それはあまりに一瞬だけれども、大人だから、それでいいのだ。
(了)
Comments