今から数十年前、私が義務教育を受けていた時代に「いじめ」と言うのは、あまり身近な言葉ではなかった気がする。
「いじめ」と称されるのは、カツアゲや暴力行為のような犯罪に適応される場合に使用されるくらいで「クラス全員から無視される」「悪意の篭った手紙をもらう」などと言うのはいじめの範疇に入っていなかった。むしろ「女の子では誰でも一回は経験するもの」くらいの通過儀礼としての認識しかなかったように思う。
▲ いじめの事はなんと言っていいのかよくわからない。なんか色々悩ましいですよね。
私が標的になったのは中学2年生の秋だった。
皆グループの子は、可愛らしく、おしゃれに敏感で、ポーチを持っていて、ボーイフレンドがいる子もいた。毎時間、誰かに可愛らしい便箋で手紙を書き合っていた。
私が持っていたのは、ハンカチとティッシュケースに入ったちり紙だった。花柄のローラーアシュレイのファブリックで、薄紫のアンティークのレースがついている母が縫ったくれたもの。手紙の返事は帰宅してからしか書かなかった。塾があったので、いつも一人で帰っていた。
私がそのグループにいたこと自体、そもそも不自然なことだった。
予感はあったのだ。
けれど、それは今日ではないと思ってきた。
それが現実になった時の、一瞬で芯まで体が冷えた感覚は今でも思い出す事ができる。
両親は自分の娘が不登校であるという世間体に耐えられるタイプではなかったため、私は保健室登校を禁止され、毎日教室に通った。その代わり、両親は高校は都心の私立で良いという条件を提示してくれた。
彼女たちの黄色い笑い声を聞きながら、体育や移動教室の時は一人で座りながら、ひたすら勉学だけに励んだ。涙が出る時は図書館に行った。
幸運にも3ヶ月ほどで学年が変わったのと同時に友達も出来て、私は円満に中学校を卒業した。
今では親友とも呼べる人も2人いる。(私の中での親友とは貯金の半分くらいは渡しても良いという基準だ)そして、なんと40歳になってネットで友達が出来るような、あの頃の私が夢想だにしなかった現実を生きている。
それでも、自分がクラスの全員から無視されても良いと思われている存在だったと言う事実と羞恥心は心にいつまでも残った。
自分の何が悪かったのだろう。
性格を直せばいいのではないか。
でも、性格って直るんだっけ?
どうすれば?
当時はそんなことばかり考えていた。
高校に進学した時も、予備校に入学した時も、部活に入る時も、大学で県外に出た時でさえ、ふとした時にあの時の自分の苦しさが心に蘇ることがあった。
それから10年くらいして、県外に進学していた私が実家に帰省し、友人と買い物に行った時のことだ。地方から休日を利用して、都会に出てくる人はどこか高揚している。
デパートの一階は待ち合わせの人で溢れかえり、お手洗いも外に列が出来るほどになっていた。
特に若い集団が買い物ともなると周囲のことが目に入らなくなっていることも多い。大きな紙袋をいくつも持った似たような格好をした子たちが必死に我先にと話をしている。
その姿をぼんやりと見ていた時、黄色い声がした。
瞬時に誰の声か理解した。
彼女は笑っていた。
顔はあまり変わっていなかったように思う。
文字通りの冷や汗が出た。
お手洗いの方向に行こうとする友人を慌てて呼び止め、目の前のショップに入った。
踵を返した時、ふと、彼女の足元が目に入った。
彼女はビニール素材で出来たいかにも安物のミュールを履いていた。
そして、その足についていたいくつかの絆創膏が捲れて埃がつき、黒く汚れていた。
私は自分の足元を見た。
高くはないけれど、裏張りをして形崩れしないように大切に使ってきた。
友達に会うために、昨晩にきちんと手入れしておいたピカピカのエナメルのパンプス。
それを見た瞬間、私はあの時の全てがどうでもよくなった。
なんだか、彼女の全てが私にとって本当に取るに足らない存在だったことが確認出来たのだと思う。
▲ こんなに美しい靴ではありませんでした。もちろん。
人を見下してはいけない。
他人と比べるな。
人を愛し、許し、尊敬しろ。
けれど、それは「これらを否定すると真に自らを肯定することが出来ない」と言う含蓄だ。
そして、斯く言う人も神も「他人にしたことは自分に返ってくる」と恐ろしいことを言う。
でも、そんな行為で、少なくとも私は解放されたのだ。
清廉潔白なことなど自分を救わない。他人はもっと救わない。
このサイトを見にきてくれている人はいい人が多いのだろうと思う。実際にお会いした人たちもみんないい人ばかりだ。でも、私が決めているのは、その人たちがいい人であるときはどうでもいい。その人たちがいい人ではなくなった時に絶対に幻滅しないということだ。
友人が彼女たちの騒ぎ様を見て「すごいね」と苦笑した。
その時、私の口から「中学の時、あの子にいじめられてたの」と言う言葉が自然に出た。
友人は驚きを隠せずに私を見つめたが、すぐに「マジでしょうもない人間やね」と言った。
私は「そうだね」と言うことが出来た。
最後に、あの日から私は靴だけは綺麗にすると言う非常に面倒な習慣を持つようになってしまった。これで両成敗とはならないものだろうか。
▲ いまだに母の手作りのティッシュケースを愛用しています。私にとっての自慢の一品。
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