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​毎週日曜日更新

一節のお裾分け

第6節

結局、答えは、どこにもないんじゃ

【カメをつって考えた 阿部夏丸作・大島加奈子絵】

今回のお裾分けは「カメを釣って考えた」という児童書からの引用である。

私がカメが好きだったこと、そして何かしらの、夏休みの読書感想文コンクールの課題図書という形で本屋に売られていた事から、伯母が買ってくれたと記憶している。

当時は挿絵のカメや魚の絵がリアルでパラパラと絵を見るのが好きだった。カメの図鑑ばかり読んでいた私は、それがニホンイシガメであることがすぐに分かったことが少し誇らしかった。

しかし私は、「ただのカメの本」以上の印象をこの本に抱くことになった。

物語は、釣り好きの友達2人に誘われて釣りを始めた小学5年生の主人公のケイタが、昔から釣りをしている友達に馴染めず、近くの池にいたおじいさんの銀さんと出会うところから始まる。

友達とではなく銀さんと釣りをするようになったケイタはある日、魚ではなくカメを釣り上げてしまう。カメを飼いたいケイタは、家に持ち帰って母親の反対も押し切り、カメを飼い始める。しかししばらく飼ってもカメは池に帰りたそうにしている。

カッとなってカメに乱暴をしてしまったケイタは、おじいさんの家に行く。

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「ぼくは、カメのことが好きだ好きだって言いながら、結局、自分勝手だったような気がする。カメの気持ちを考えてなかったような気がする。ねえ、銀さん。カメをにがしたほうがいいと思う?」

「さあな」

「にがしたほうがいいんだよね」

「……ボウズ、そいつは、自分で考えることだ」

「自分で……」

「だがな、にがしてやることがやさしさだと思ったら、それは、大まちがいだぞ」

「えっ?」

「それじゃあ、うまく飼えなかったカメを、すててきたことと変わりがない。かと言って、今のまま、買っていればいいかと言えば、それもどうかな……。結局、答えは、どこにもないんじゃ」

「………」

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カメを逃がすことも、飼い続けることも、どちらも正解ではないと言われて驚くケイタと同じように、当時の私も驚いた。

確かに、銀さんの言う通りだ。どちらも正解ではなくて、その答えは自分で考えて出さなければいけないのだと思った。

カメを飼わずに池に逃がす選択を取らなかった過去には戻れない。でも今から逃しても捨ててきたことになってしまう。


答えのない問いに自分なりの答えを出さなければいけないシーンは、年を重ねれば重ねるほど増えていく。

試験ではないので、それが正解だったかどうかのフィードバックはないし、そもそもそれを選んでいたらどうなったか?という別の世界線の話をしてしまうことにもなり得るので、選んだ選択肢が正解になるように進むしかない。

そんな「答えのない問い」を私が本の中で初めてぶつけられたのが、この本だった。


答えがなかったり、正解がいくつもあったりするのが人生。かと言って何も考えずに選べば良いというわけでもない。考えることをやめればきっと楽になるけれど、考えずに選んだ選択肢は、その未来でも正解にすることが難しいのだ。

大人になるとは、ネガティブ・ケイパビリティ(消極的受容能力)を身につけることだと聞く。ネガティブ・ケイパビリティとは、答えのない事態に耐えられる力のことだ。

何でもかんでも白黒はっきりできない問いの中で、自分なりの答えを出しながら進んでいけるようになることが、大人になるということなのだろう。

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こうしろう

会社員・ライター・kamenotsuno.com運営

1992年 鹿児島生まれ。青年海外協力隊に従事するなど、ユニークな経歴の持ち主。自身のサイトkamenotsuno.comを中心に、you tubeにてカメのつのチャンネルの配信やno poleの第二期メンバー等、FtMに関する諸問題について、精力的に活動を行なっている。

好きなものは、カメとノート、カレー、黄緑色のもの、などなど。

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