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一節のお裾分け
第45節
世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?
【人間失格】
太宰治
今回のお裾分けは、太宰治の『人間失格』からの引用である。タイトルを聞いたことがない人はいないのではないかというくらいの、今なお現代人にも共感される超ベストセラー作品である。日本人で『人間失格』の主人公である葉蔵に全く共感できない人もいないかもしれない。
私がこの本を初めて読んだのは、中学1年生か2年生の頃だったと思う。当時はまだ本なんて国語の本以外には年に1、2冊読むか読まないかくらいで、ほとんど興味もなかった。ただ、なんとなく昼休みに学校の図書館に入ったときに、『人間失格』というタイトルに惹かれてその本を手に取ったのだった。今もそのときの光景をよく覚えている。人間失格がどんな話なのかは全く知らなかったが、もしかしたら自分のことなのではないか?と、まぁこじらせた感じの理由で興味が湧いたのだった。
読んでみたら、これはまさに自分のことのようだと思った。作者の太宰治を思わせる主人公、葉蔵は人の本心が理解・共感できず、とにかく子供の頃からおどけてみせたり優しく振る舞ったりすることで、なんとか周りとうまくやってきた。彼の言うその「道化」になってやり過ごすことと同じようなことをしていた自分を見透かされてしまったように思ったのだった。
私が自分の性別のことを突っ込まれたくなかったために、面白いことを言ったり人を笑わせたりすることで周囲に馴染もうとしていたことを、「道化」と言語化されたときに、たしかにそうかもしれないと感じたわけだ。
今思えばまさに中2病という感じであるが、当時の自分は大真面目に「これに共感できてしまう自分はまずいのではないか?」と思っていた。それで読むのが怖くなって、途中で読むのを止めてしまっていた。
大学生になってから続きを読み始めた。Kindleが普及し始めて、タダで読めたからだ。破滅的な女性関係や、心中未遂、モルヒネ中毒、自殺未遂など、かなりハードな人生で、幸いにもモテとは無縁だった私が共感できたのは幼少期のパートだけで、あとの方はあまり共感できなかった。
共感はできなかったものの、とても印象に残っているセリフがある。主人公の友人(?)である堀木が主人公に説教をし、それに心の中で反論するところである。
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「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)
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現代でも「クソデカ主語」なんて言われたりするが、このシーンで言う「世間」もいわゆるクソデカ主語なのだ。
LGBTのことについてとやかく言う人も、「それだと世の中がおかしくなる」とか「世間では受け入れられない」というのは、結局その人達が許容できないのを世間になすりつけているだけであることが大概だと思う。
そう考えるともう70年以上も前に生きている人の思想に共感するのだから、本質的に人の悩みというのは変わらないのかもしれない。「世間」や「他人」に振り回されながら私たちは今日も生きている。