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一節のお裾分け

第2節

この世界にあるのはいくつかの偶然だけ

【Sidewalk Talk 本多孝好】


今の僕なら、彼にこう忠告するだろう。
大きかろうと小さかろうと、世界に奇跡などない。あるのはいくつかの偶然だけだ。
偶然が重なって一つの方向を示唆しているように見えるのだって、それだってやっぱり、ただの偶然なんだよ、と。彼は一体どんな顔をするだろう。

I LOVE YOUという恋愛アンソロジーの『Sidewalk Talk』の一節だ。

物語は離婚直前の男女の最後のディナーから始まる。
工務店で住宅の設計をする「僕」と、おそらく証券会社勤務の「彼女」は、少しずつのすれ違いを重ね、離婚をすることになる。互いの両親に離婚の報告をした話や、これまでの思い出話を振り返りながら、目の前の「彼女」と離婚をする現実を、「僕」が噛み締めていく。

かなり短い話で、Kindleではこの短編だけ購入することもできる。330円で221ポイントつくので、実質109円で読める(2021年11月現在)。ぜひ読んでみていただきたい。
短い話なのに、今回引用した部分以外にも素敵な言い回しがたくさんあって、自分の感情を出すことに不器用な人には非常に刺さるだろう。

さて、冒頭の「偶然」に対しては、私も同じように考えている。
高校1年生の頃の離任式で、他の高校に行く先生がこのように言っていた。

「世の中に必然なんてありません。全ては偶然の積み重ねです。
全てを必然や当たり前だと考えるのは傲慢です。日々の偶然に感謝をしてください」

このセリフはかなり強烈に私の中に残っている。

必然を傲慢だと考える思想は受け付けられない人もいるかもしれない。世の中の人をざっくりと2種類に分けるなら、あらゆる出来事を全て必然だと考える人と、全て偶然だと考える人の2種類に分けられる。私も後者の考え方に同意している。

起こってしまった過去の出来事が、振り返ってみると全て繋がっている時、全てが必然のように思えることがある。それを運命と呼ぶ人もいるかもしれない。

だけど私は、必然や運命に抗えないと思った途端に、そして起こったことを「必然のだから当たり前の結果」と捉えた途端に、人は一気に怠惰または傲慢になると考えている。
「必然」と「当たり前」の境界は極めて曖昧で、「必然」は一歩間違えば傲慢になる危険を孕んでいる。そんな風に思えてしまうのだ。

努力をしても必ず報われるわけではないし、報われたとしたらそれはたまたま。
そして何かに対して頑張ったり、継続したりするのはきっと、その「たまたま」の確率をほんの少しでも上げるためだ。

私がFTMとして生まれたけど、それなりに幸せに生きているのはきっとたまたまだ。
たまたま、周りの人や出会う人々が優しかったから。
たまたま、傷つけられるようなことを言われても立ち直れるしなやかさを身につけられていたから。
たまたま、現実を直視し折り合いをつけて生きるための知恵を身につけられるような本に出会えていたから。

最近では「親ガチャ」という話をよく聞く。
FTMにとっても「親ガチャ」は重要なファクターだ。
男性として生きたい自分を許してくれるか、オペ代を出せる経済力があるか、何かが起こった時に立ち直れる力を幼少期から身につけられるような環境を与えてくれるか。

だけど性別も親も、努力では変えられない。
それを必然や運命だと嘆き周りの所為にしながら生きていくのか、自分の人生を自分でより良くするための行動を起こし、良い「たまたま」に出会える確率を上げていくのか。

FTMであってもそうでなくても、私たちは偶然を積み重ねながら生きていくのだろう。

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こうしろう

会社員・ライター・kamenotsuno.com運営

1992年 鹿児島生まれ。青年海外協力隊に従事するなど、ユニークな経歴の持ち主。自身のサイトkamenotsuno.comを中心に、you tubeにてカメのつのチャンネルの配信やno poleの第二期メンバー等、FtMに関する諸問題について、精力的に活動を行なっている。

好きなものは、カメとノート、カレー、黄緑色のもの、などなど。

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