毎週日曜日更新
一節のお裾分け
第17節
「自分探し」より「自分なくし」
【「ない仕事」の作り方】
みうらじゅん(著)
4月になり、僕が働く職場にもたくさん新卒の方が入社した。これから社会人のキラキラした子たちから、僕もパワーをもらって頑張らないと!と身が引き締まる時期でもある。
僕はかつて、それはそれはとてもイタくてダサい、口先だけの若者だった。仕事のインタビューでも話した通り、僕は新卒のときに大学院受験に失敗し、正社員登用されることなく某ボランティア(と言ってもお金は多少出る)に参加し、タイに派遣された。
派遣されるまでも何かと大変だったが、派遣されてからもかなりたくさんの失敗をした。何より、そこで僕は必要とされていなかった。突出した専門性も、ネイティブ並の語学力もない僕ができる仕事なんてなかったのだ。
そんな僕の唯一の救いは、「自分を何処かで変えないと、ダサくてイタい奴で終わってしまう」と客観視できたことだった。
このままではいけないと思った僕は、みうらじゅんさんの「ない仕事の作り方」という本を買って読んだ。仕事がここにないのであれば、どうやって仕事を作れば良いのだろう?と思っていたので、タイトルを見て買ったのだったと記憶している。
結果的に想定していた話とは違ったものの、その本に僕は頭をぶん殴られて、目が覚めたのだった。
みうらじゅんさんといえば、テレビで見かける、なんだか怪しげなロン毛のおじさんという印象だった。怪しげでマイペースで自分の世界を持っているような人は大好きなので、どちらかといえば良い印象ではあったものの、何者なのかは知らなかった。
そんな彼が、今では当たり前のように使われている「ゆるキャラ」という言葉を作った人であることもこの本を読むにあたって知り得た。
僕が頭をぶん殴られた箇所を引用する。長くなってしまうのでところどころ省略するが、確実に僕の血肉になっている内容だ。
『私ももうそれなりの年齢になったので、若い人と接するときには「なるべく優しくしよう」と心がけていますが、それでもやっぱり、ときどき苛ついてしまうことがあります。
なぜかと言えば、若者は自分のしたいことだけを主張するからです。
こんな仕事をしているので、私自身がさぞ自己主張が強いと思われがちですが、実はそうではありません。私が何かをやるときの主語は、あくまで「私が」ではありません。「海女が」とか「仏像が」という観点から始めるのです。』
『そもそも何かをプロデュースするという行為は、自分をなくしていくことです。自分のアイデアは対象物のためだけにあると思うべきなのです。』
『「自分探し」をしても、何にもならないのです。そんなことをしているひまがあるのなら、徐々に自分のボンノウを消していき、「自分なくし」をするほうが大切です。自分をなくして初めて、何かが見つかるのです。』
そう、かつての僕は一所懸命に自分を探したり、自分を作ったりしようとしていた。
でも仕事やミッションを果たすにあたっては、大抵の場合「自分なんかいらない」のである。社会人になってからは増々この言葉の意味がわかる毎日を過ごしている。
自分のボンノウを消して、まさに「我を忘れて」仕事をしているとき、とても良い仕事ができたりする。「自分が何をやるか?」や「自分が成長できるか?」ばかり考えていると、大した仕事なんかできないのだ。
とはいえイタくてダサい僕がぶつかって転げ回って、悩んだら本を読んで得た経験や知識を思えば、本当に無駄なことなんて何一つなかったなと思う。
最近Z世代マーケティングを勉強していて、Z世代の若者たちはとにかく失敗を恐れると知った。失敗をしないための方法を情報としていくらでも手に入れられるからこそ、絶対に失敗がないように努めるのだという。SNSによって他人の成功や失敗が分かりやすくなっていることも関係しているだろう。
僕が若かった頃に失敗をしないためにアドバイスしに行けるなら、「早く自分をなくすくらいに熱中してモノゴトに当たれ」と言ってあげたい。
だけど、それができても僕は「失敗をしないためのアドバイス」はしないかもしれない。「とりあえず動きまくって失敗して、深く短く反省して次に行け」それだけ教えて帰ってくるのが実は1番、僕のためにはなるのだろう。
こうしろう
会社員・ライター・kamenotsuno.com運営
1992年 鹿児島生まれ。青年海外協力隊に従事するなど、ユニークな経歴の持ち主。自身のサイトkamenotsuno.comを中心に、you tubeにてカメのつのチャンネルの配信やno poleの第二期メンバー等、FtMに関する諸問題について、精力的に活動を行なっている。
好きなものは、カメとノート、カレー、黄緑色のもの、などなど。