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一節のお裾分け

第15節

感情を定義する言葉は、非常に漠然としている

【悪童日記】
アゴタ・クリストフ (著)

今回のお裾分けは、アゴタ・クリストフのベストセラー小説「悪童日記」からの一節だ。昨今のウクライナ情勢を見ていて、この小説のことを思い出した。

物語の舞台はハンガリー動乱の時期のハンガリー。物語は双子の「ぼくら」がハンガリーの大きな町から、小さな町にある母方のおばあちゃんの家に預けられる、つまり疎開するところから始まる。

おかあさんは不仲のおばあちゃんに罵られながらも、2人を守るためにおばあちゃんの家に預けて去っていく。

「ぼくら」は心身や頭を鍛えるため、とにかくストイックに生活をする。体を鍛えるために2人で殴り合いをしたり、精神を鍛えるためにお互いを罵りあってから街に出て行って、わざと人に罵られるようなことをして自分たちが動じなくなったことを確認したり、おかあさんの優しい言葉を思い出しても涙が出ないように、ひたすら意味を感じなくなるまで繰り返したりと、もはや何が彼らをそこまでさせるのかわからないくらいやることすべてが過激なのだ。

2人は「大きなノート」にお互いに出し合った課題に沿って文章を書くのだが、その中に今回お裾分けしたい言葉が出てくる。

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ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「お母さんが好きだ」という場合では、「好き」の意味が異なる。前者の句では、口の中にひろがる美味しさを「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は、ひとつの感情を指している。

感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

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確かにその通りで、感情という目に見えないものを表す言葉は、同じ言葉でも人や状況によってその意味が全く違う。りんごという単語は果実のりんごそのものを表しているが、楽しいという単語は、りんごほどの正確さを持っていない。

そしてこの内容は、そのままこの小説の特徴を示している。とにかく文章が淡々としており、「感情」にまつわる言葉があまり出てこないのだが、何故か読み手の感情は非常に揺さぶられる。

原作はフランス語だが、著者のアゴタ・クリストフはフランス語ネイティブではない。ネイティブではないからこそのシンプルな文章が、この小説の良さを引き立てているという見方もある。

冒頭でウクライナ情勢のこともあってこの話を思い出したと書いたが、この本は過酷な戦時下を舞台に「悪」とは何か?を突き詰めて考えさせてくれる一冊である。「汝、殺すなかれって言うけど、みんな殺してる」という台詞の通り、平気で人が殺されていく世界。そんな中で異常なほどの冷静さで生き抜こうとする「ぼくら」も、ラストではポリシーを貫けない状況に置かれる。
名作と呼ばれるだけあって何回読んでも面白い本なので、是非一度読んでいただきたい。

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こうしろう

会社員・ライター・kamenotsuno.com運営

1992年 鹿児島生まれ。青年海外協力隊に従事するなど、ユニークな経歴の持ち主。自身のサイトkamenotsuno.comを中心に、you tubeにてカメのつのチャンネルの配信やno poleの第二期メンバー等、FtMに関する諸問題について、精力的に活動を行なっている。

好きなものは、カメとノート、カレー、黄緑色のもの、などなど。

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