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れいれいのセカイ
 Ray Hung 10,000字
ロングインタビュー

「Ray Hungとはどのような人物ですか」

 

そう問われて即答できる人はきっといないのではないでしょうか。

 

「Xジェンダー」「起業家」「ゲーマー」

幾つもの顔を持ち、刺激的な発信を行っているRayさん。

 

Rayさんの人生に影響を与えた4つのこと

 

 

異文化環境

ファッションと美容

ゲーム

音楽

 

 

これらを通じて、その半生と魅力を追いかけてきました。

ーー

今回は、Rayさんが影響を受けたものを通じてRayさん自身をご紹介出来たらな、と思うんですけれども

Ray

はい。一応、4つ程考えて。。。

影響を受けたものと言うよりは、もう少し大枠になってしまいました。

ーー

こちらがお願いしたのは3つと言うことだったんですが。

そんなに考えていただけたんですね。

Ray

本当は5つにしようと思ったんですけど

ーー

(笑)そんなに考えて頂いて嬉しいです

【 異文化環境で養われたもの 】

Ray

自分の中で大きな影響があったのは、まず異文化環境です。そこでボーダレス思考が養われたと思います。

自分は香港人と日本人のハーフと言うこともあるし、小さい頃は駐在員向けのビラに住んでいて、とても多国籍な環境で育ちました。そこは、人と関わる時に、国籍や背景、片親、障害などの条件で、その人を定義してしまうことのない環境だったんですね。もちろん、子供ながらに「遊ぶ」「遊ばない」などの選択をする事もあったんですが、それはあくまでもその子との相性で判断していました。相手の国の言葉で挨拶したり、相手の事情を理解することが普通でした。

性別以前の問題で線引きが曖昧な世界にいたんです。

ーー

その後、日本に帰国されていますよね?その時はどうでしたか?

Ray

海外にいたころは多様化された環境でとても過ごしやすかったので帰国後の10代は地獄のようでした。小学校6年生の3月に帰国したのですが、その後はいじめられてなんとか生き延びたと言う感じでした。

でも、最初はいじめられていることに気がついてなかったんです。道すがら思いっきり蹴られて。痛いんですよ。でも、それをじゃれ合っていると思っていました。

ーー

それは、海外生活で身についたポジティブシンキングと言うか、物事を肯定的に捉えている感覚からなのでしょうか。

Ray

いや‥何でしょうね。笑って流してその場にいなきゃならない。仲間外れにならないといった感覚でしょうか。

もともと父が日本人で母が香港人と言うルーツもあって、アイデンティティクライシスみたいなものになりました。「なんで日本人じゃないんだ!」と言って、母を傷つけたこともあります。当時の自分にはその言葉が傷つけることになるとは思っていなかった。母はとても悲しんで傷ついていました。

でも、自分にとってはとても切実な問題で。

ーー

それでも学校には通ったんですか。

Ray

一度、不登校になりかけた事はあります。

海外経験があって、唯一仲良くしている子が不登校になってしまったんですよね。自分は知らなかったんですけど、先生から不登校になった理由を聞かれました。その子は通っていた塾でいじめっ子から仲間外れを宣告されたそうです。自分の仲のいい友達を傷つけた子たちに対して自分も戦う気持ちで、母親に「学校に行かない」と訴えたけれど、「いじめっ子に負けを認めることになる」と諭されました。

ーー

実際は、海外が経験があったり、英語が話せたり、容姿だったり‥‥何と言うか、自信を持てる部分はあるようにも見える気がするのですが

Ray

そんなことはなかったですよ人間不信になっていましたから。

「みんなどうせ自分のことなんて興味がないんじゃないかな」と思っていました。

自分を肯定したいけど、自分を肯定してくれる他人を信じられないと言うダブルスタンダードの中で板挟みでした。

 

ーー

そんな中でも幼い頃の環境で培ったボーダレス思考は変わらなかったのですか

Ray

の後中学は私立に通ったんですが、英語が多少出来たので英語のスピーチコンテストに出ていたと言うか(笑)出させられていたと言うか(笑)

ーー

(笑)

Ray

そのスピーチコンテンストの中で、高円宮杯という大会があるんです。

その時に「ボーダレス社会を実現する」とスピーチしました。

国境は消すことが出来ないけれども、コミュニケーションはそれに捕らわれることはない。コミュニケーションを通じて、お互いの気持ちを理解し合い、助け合うことが大切であると言う内容です

空港に着くとimmigrants(入国して永住している)とvisitorの2つのレーンに分かれるじゃないですか。「国籍があるのか」「国籍がないのか」で道が分かれることに違和感を感じていたからです。

 

その時点で意識していました。

15歳の時です。

明確に答えを持っていた訳ではないけれど、その時には、年齢、国境や性別などの条件ではなく、その人自身を見ると言う考えは持ってはいたと言う感じです。

【 周囲に流されたこと 】

ーー

いわゆる思春期の頃と言うのは、どうしても周りに流されたり、理解が追いついていなくてLGBTQを始めいろんなことを揶揄したり、思ってもいないような事を発言したりしそうなものですが、とても自立していらっしゃったんですね。

Ray

‥‥そんな事はないです。一度、流されたと言うか。

とても恥ずかしい思い出なんですが、イングランド時代に周囲に流されたことは‥あります。

当時は、ちょっと同性同士がくっついていたり、ボディタッチがあると「ゲイなの?」「レズなの?」と言うような風潮がクラスにあったんですね。

ーー

そう言う事は日本でもあると思います。

Ray

それで、あるポーランド人の子に「ゲイなの?」と言ってしまったんです。

自分自身はそれをずっと覚えてはいたんです。

その子とは今でもFacebookとかで連絡を取り合う仲だし、自分が自分の特性に気がついてからも「Rayはそうだったんだね」と受け入れてくれるような仲なんですけど‥‥。その子に、10年とは言わないかな、6,7年ぶりくらいに会ったことがあったんですね。その時に「あの時、僕にゲイかって聞いたよね?覚えてる?」と言われました。ヒヤッとしましたね。その時が、人の特性を茶化すと言うことがいかに浅はかで恥ずかしいことか気づいた瞬間でした。

【 生きていて、よかった 】

ーー

多感な10代のとき「人間不信」と言うワードが出ましたが、実際に、そういった人間不信から抜け出せたのは、いつ頃のことだったのでしょう?

Ray

21歳の‥時ですね。

高校生の時に家を出ました。そこで色んな人と話をしました。

‥10代の8割くらいの時期は「死にたい、死のう」と思っていたんです。19,20歳の時には、実際に実行に移していた時期もありました。

そんなある日に、姉が家に来て。ドンドンドンと扉を叩かれて(笑)ものすごくびっくりして(笑)

自殺をしそうだと言うことを聞きつけた姉が訪ねてきたんです。そして、強く抱きしめられて。あんなに強く抱きしめられる事は、後にも先にもないだろうと言うくらい(笑)そして「生きていてくれてよかった」と言われたんです。

このことが鎖みたいなものを断ち切ってくれました。

自分は姉と8個離れているんです。だから、小学生の時には姉は大学生で海外に住んでいたので、親しくなかったと言うか好かれていないと思っていました。

ーー

なぜですか?

Ray

「イタズラばっかりするから嫌!」って(笑)

ーー

(笑)

Ray

部屋にも入れてもらえないくらい。

そこから、姉が大学に行った頃に優しくなってから親しくなりました。

でも、離れて暮らしていたので。姉から見て、自分がどのように思われているのかを探る余裕がなくきてしまったと言うか‥。どう思われているのか、自分は好かれているか、よくわかりませんでした。

だから、母にそうされるのとは全く違う衝撃があったんです。

「きょうだい」と言うのは、同じ親から生まれた他人です。その人がまさか自分を抱いて泣いてくれると思わなかった。そこから、自殺はやめようと思いました。こんなに悲しんでくれる人がいるのだから、と。

姉から抱きしめられて「生きていてよかった」と言って自分のために泣いてくれた事は、自分の中でも1番鮮明に心に残る出来事かもしれないです。

 

ーー

そこからは、順調に?

 

Ray

そんなことはなかったです。

生きていく気力がないのに、生きていくことを考えないといけない状況でした。

でも、それから決めたんです。

「したくないことはしない」「やりたいことだけをやる」

 

自分に負荷をかけるものをやめました。

それまでは割と親から受け継がれたルールを守って生活をしていたんです。ご飯も食べたくなかったら食べなくなったり。時には、買って来て食べたりもしました。そうしたら、生活が楽になって頭に余裕が出来たと言う感じです。

人生が明確になっていきました。

 

ーー

話がずれてしまうかもしれませんが、親から受け継がれたルールに反発しても結局戻っちゃう事とかありません?(笑)私はテレビが見られない環境で育って。テレビを買ったんです、大学生の時。

でも長続きしませんでした(笑)

 

Ray

わかります、わかります(笑)プリングルスってあるじゃないですか‥。小さい頃、それを親の目を盗んで一枚ずつ食べてたんです(笑)

 

ーー

大笑

Ray

棚の引き出し?みたいなところに入ってたんですけど、さっと一枚食べて、引き出しをしめて(笑)。ちょっとその辺を伺って、また一枚食べて、みたいな。そんな感じだったので、大人になって一本丸々食べたんですよ。「自分のお金で買ったし!」「食べれるし!」って。

 

ーー

どうなりました?(笑)

 

Ray

全部!吐きました!(笑)

こう言う事だったんだなって(笑)

【 Xジェンダーに辿り着いた 】

 

ーー

この後に、自身の性について気がついたのでしょうか

 

Ray

性違和は幼い頃からあったんです。でも、実際にXジェンダーの自覚を得たのは、21か22歳の頃です。それまでは自分のアイデンティティがどこかわからない苦しさしかなくて、行きつきませんでした。borderについて考えたことがなかった。

でも、考え始めてからXジェンダーに気付くまでは早かったです。

 

ーー

そうだったんですね。

​(続く)

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